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24件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1968-04-19 第58回国会 参議院 決算委員会 第13号

田村賢作君 公民館の位置づけにつきましては、いまのことでよくわかりましたが、前の有田文部大臣のときに、よりよい社会、よりよい教育を建設するためには、学校教育社会教育と、これは成人教育を主としてさしたかもしれませんが、家庭教育とこの三つがよく結びあって、一つ広場をつくることだと、こういうので、学校教育社会教育家庭教育三つのコンビで一つ広場をつくるということを、キャッチフレーズで出したことを

田村賢作

1967-12-14 第57回国会 衆議院 産業公害対策特別委員会 第2号

島本委員 そのほかに、有田文部大臣の当時、知事のほうから、いわゆる法人格の寄付行為の変更の認可について出されてある。これを認可して現在のやつをやった以上、全面的にこの内容にまで、皆さんのほうが心配してやらなければならないような責任と義務があると、こういうふうに私は思っているわけです。

島本虎三

1967-07-12 第55回国会 衆議院 文教委員会科学技術振興対策特別委員会連合審査会 第1号

私は十二月に大臣を引き受けたわけでございますが、その前に有田文部大臣科学技術庁長官を兼ねられておりまして、科学技術庁長官文部大臣を兼ねておった関係から、何とかしてこれを早期に成文化したいという努力をされました。なお、私が引き継ぎました際におきましても、その内容について十分の引き継ぎを受けまして、ぜひひとつこれが成立について努力するようにという引き継ぎを受けてまいっておるのでございます。

剱木亨弘

1967-06-20 第55回国会 参議院 文教委員会 第14号

秋山長造君 まあ局長のお考えは大体わかりますが、これはどうですか、いま局長お話では、文部省のほうが何科目にしろとか、するなとかいうような指示をすることが適当でないから、ああいう通牒にかえたと、こうおっしゃるのですが、ところがその通牒が出た——過去のことばかり言いますが、通牒の出た一カ月ほどあとに、当時の有田文部大臣が大阪で記者会見をやられて、高校入試科目数については、文部省として一定の基準を設

秋山長造

1967-05-23 第55回国会 参議院 文教委員会 第7号

それから有田文部大臣になりましてから、その要望に対しまして、日教組のほうで何ら考慮の余地のないような状況においては、話し合いをいたしましても教育上有効な話し合いの結果を得られるとは思われないから話し合いをしないということで、有田文部大臣の場合は話し合いをいたさなかったと聞いております。

剱木亨弘

1967-05-16 第55回国会 参議院 文教委員会 第5号

そこで、私としましては、前中村大臣及び有田文部大臣も主張されたのでございますが、昭和四十二年度の予算におきまして、このことを予想いたしまして、予算的措置も多少しておるのでございまして、予算が通過をいたしましたならば、新しいスタートを切りまして、いまの学制について、長期的な視野で、将来、日本教育はいかにあるべきかという問題について検討を実際において開始をいたしたいと思っております。

剱木亨弘

1967-05-10 第55回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号

そこで政府といたしまして、私、先ほど申し上げておりまするように、できるだけ人文を含めて一本の法律で出したいということは先ほど述べたとおりでございますが、この党との間というのは、有田文部大臣科学技術庁長官を兼任していた時代にも書かれておりますとおり、党の部会との間に折衝をいたしてもらっております。  

二階堂進

1967-04-18 第55回国会 参議院 文教委員会 第2号

しかし、日教組との関係につきまして、中村文部大臣の当時からのいきさつ有田文部大臣当時のいきさつを十分承知いたしておるのでございますが、また、中村文部大臣三つ条件を出しまして、これは会見をいたすための前提条件ではないけれども、しかし、相当重要な条件である、だから、これに対しましてある程度の誠意ある日教組側のほうの考え方を要望しておられたことは事実だと思います。  

剱木亨弘

1967-04-04 第55回国会 衆議院 文教委員会 第3号

次いで、有田文部大臣のときになりまして、ちょうどそのときに、三つ条件が当然に聞かるべきものだと考えておるのであるが、その条項の中の一つでございます争議行為はやらないという条項があるにもかかわりませず、例の二一ストをやるという計画が進められまして、そういう状況において、聞かれないということをはっきり行動をもって示されておるようなときにおいて、文部大臣がこれに対して会うのは教育上成果を得るとは考えられないからということで

剱木亨弘

1967-03-28 第55回国会 衆議院 予算委員会 第8号

その次の有田文部大臣きょうはいないようですが、六・三制はアメリカから押しつけられたので改正すると、そんなばかなことを言っておられる。あれは真剣に日本の者が検討して、一番民主的なものとして取り入れたのに、こういうことを放言をしておる。そして、一年ごとに文部大臣がかわられて、思いつきだけを言われて、移っておるわけであります。  

山中吾郎

1966-11-15 第52回国会 参議院 文教委員会 閉会後第4号

小野明君 みずから顧みてということわざもありますが、この前から上林山長官や、松野農林大臣、それから荒舩さんはすでにおやめになりましたが、総理のこの二千万円献金の問題いろいろ委員会に出ておりまして、私も有田文部大臣がやり玉に上がっていないので喜んでおったわけなんです。ところが先般の委員会で、はしなくも大臣の秘書官問題が出てまいりました。

小野明

1966-10-28 第52回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第4号

中沢伊登子君 実は、有田文部大臣兵庫県の出身でございまして、今度兵庫県にお国入りで帰られたわけです。それから塩見自治大臣もこれは土佐の方ですけれども、いま宝塚市の市民でございまして、私も宝塚に住んでおります。で、両大臣のいわゆるお国入り、いま海原さんの御説明のあったとおりのお国入りということを考えてみますと、みんな市民は何か非常な好意的な感じで歓迎をした、お迎えをした。

中沢伊登子

1966-10-17 第52回国会 衆議院 文教委員会 第2号

このことについて、先ほど来給与担当大臣大蔵政務次官も、そしてまた有田文部大臣も、尊重はしたいんだけれども財源がない、だからできないのだ、詰めて言いますと、そういう御答弁であります。しかし、三歳の童子もわかりますように、膨大な国家予算の中で、労働者自体公務員自体から考えるならば非常に控え目であるという、不満だらけ内容でありましても、その勧告すらも完全実施してこない。

長谷川正三

1966-10-17 第52回国会 衆議院 文教委員会 第2号

堀委員 実は私、ずいぶん久しぶりに当委員会に参りまして、本日質問をさしていただくのですが、さっき有田文部大臣お話の中で、私のちょっと納得のできない点が一、二点あります。川崎委員との質疑応答の中なんですが、文部大臣は、教職員の待遇改善のために考えなければならぬと、きょうのごあいさつにもあるわけですね。ですから文部大臣としては、完全実施に一生懸命努力した、こういうようにお話しになっておるわけです。

堀昌雄

1966-10-17 第52回国会 衆議院 文教委員会 第2号

中村文部大臣のそういう姿勢からいま振り返ってみますならば、有田文部大臣は残念ながら——私は、あなたが違法行為になんという攻撃をする前になぜやるだけのことをやってないか。自分のほうでやるべきことをやらぬでおいて相手に対して義務のみを強要してくる、そういうことで教育ができますか。期待される人間像を見たってそうじゃないですか。

川崎寛治

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